演歌を歌った話

 2020年初夏、私は出産した。

 私の人生設計には入っていなかった妊娠出産に加えて産後直後から始まる小さき命との生活に疲れ切っていた。四六時中小さき命の生存を確認していたし、寝ていても胸が上下しているか確認しないと安心できなかった。ふぇ、と泣けば何かの欲求と捉えて反射的に、機械的に世話をしていた。

 夫は育休を取ってくれた。なんと、期間は破格の一年。社内で初めて制度を利用してのちの若者たちのために実績を作った。それでも仕事は休ませてくれず、日々5時間程パソコンに向かう日々。彼は、育児をしながらも社会と繋がっていた。

 2020年。忘れもしない、コロナ。出産前から始まった在宅勤務は身重になっていく私を十分にサポートしてくれた。コロナ禍はインドアな私でも孤立させるのには十分だった。元々インターネットに住んでいるような人生だから、外出ができないことは特に問題なかった。何よりも辛かったのは社会から切り離される感覚が抜けないことだった。

 産休が終わるまでのたった二ヶ月が永遠のように感じた。いつ墜落してもおかしくない精神状態をギリギリ保つために役だったのが物欲だった。

 エルメスが好きだ。あの寸分の狂いもなくずっと構築されているブランドイメージが孤高で美しかった。代名詞となるバッグたちのエッセンスは市販されている様々なバッグから感じ取ることができるぐらい、印象的なデザイン。唯一無二の美しさ。

 簡単に手に入るような品物ではないことも重々承知していた。現金を握りしめて「こんにちは、ケリーください」と伺ったところで「はい、どうぞ」では出てこない。著名人なら別枠なのだろうが、残念ながら小市民の私にはその優先権はない。

 だからこそ、欲しいと思った。自分の価値を自身ではなく持ち物に求めようとした。アイコニックなケリーは確かにずっと欲しかった。いつか、老後でもいいから手に入れたいとは考えていたはずなのに。あの品を纏うには年齢を重ねるしか釣り合いが取れないと思っていたはずなのに。Tシャツにデニムにケリーをさらっと持つはずだったのに。

 どうしても「いま」欲しいと思った。喉から手が出るほど欲しかった。それがないと自我が保てないような、そんな感じでケリーが必要だった。そう、社会から切り離された只人に必要なのは拠り所だった。

 ただ、悲しいことにコロナ禍だった。出かけることが叶わない上に、どんどん釣り上がる定価。二次流通を見ても定価の1.5-1.8倍は当たり前、ベーシックカラーや人気色に至っては2倍でもSold Outとなる始末。そんな高価なバッグは必要なのだろうか。その金額あったら生まれたばかりの子供のために使った方がいいのではないのか。脳内にふいに現れるストッパーは大した意味をなさなかった。今にも割れてしまいそうな何かを包むのが精一杯で、ケリーを所有しているという実績解放の前には微風のようだった。

 私のためだけに開くオレンジの箱が欲しかった。個室で私のためだけに用意されて、開かれる美しい箱。でも、二次流通では嫌だ。誰かのために開かれた箱はいらない。私だけのものがいい。完全な独占欲そのものだ。

 幸い、口座には余裕があった。だからそんな夢を見ることができた。コロナが明けたらケリーを買いに行こう。店舗に入れるように美しい私でいよう。そのために「いま目の前にあるすべて」のことをこなして、正々堂々お店に行こう。

 そんなことをなん度も心の中で繰り返して、2022年後半、ようやく一人でエルメスの店舗に入ることができた。初めての入店で初めてお迎えしたアイテムはスカーフ。90cmのカレで、店員さんに一緒に選んでもらった。美しいハリと艶感のある綺麗なカレ。魅了されていたエルメスの世界観をたった一枚の布の上に表現されていた。

 動き出すのが遅れた理由はシンプル。社会復帰して、冷静になったのだ。そして何より仕事をすることで承認欲求が簡単に満たされてしまった。

 成果を出して対価として報酬をもらう。社会人として当然な行為に満足してしまった。喉から手が出るほど欲しかったのに、一瞬忘れそうになってしまった。コロナが落ち着き、週3で出社することになってからようやくケリーが欲しいと再び思うようになった。私はどうやら追い詰められるか、余裕ができたときに物欲が発生するようだ。

 2024夏頃まではのんびりエルパトをした。出社によって程よく忙しくなり、子供も活発になり、保育園に通い、いよいよ卒園入学が見えてきたタイミングーー着物をきて、ケリーを持ちたい。

 ケリーの用途がはっきり見えて、どうしても欲しくなった。のんびりエルパトしていても入手できないならとよく利用する百貨店の外商さんにエルメスでの担当者さんを紹介してもらった。欲しいもの、用途をお伝えして、定期的にお買い物して半年。

 いつものように、電話が鳴った。

 4月だった。子供が年中になり、いよいよ卒園が遠い未来の話ではなくなった。勤務中に担当さんから連絡があって、もちろん取れなかった。退勤後、期待せずに連絡を入れたら、「ご用意できました」ときたのである。今までだって電話きたことがあったし、わずか半年でその連絡が来るとは思っていなかったから呼吸が止まった。動揺して頭で考えていることが全部口から出ていた。電話先の担当さんは笑いながらも要領を得ない私の発言を待ってくれた。

「購入します。ただ、今日は時間が厳しいので週末、必ず伺います」

 夢想してからおよそ10年、本気で探して半年。私のためのケリーが来たのである。ほぼ望んだ通りのスペックだった。サイズも、色も美しく気品に溢れた夢のようなバッグ。私だけの宝物。いつか来るかもしれない子供の家族にも絶対譲らない私だけの美しいバッグ。

 入手してから一月ほど。使用回数は片手で数えられる程度だけど、所有しているだけで色々なことに余裕を持てるようになった。寛容になったのである。

 会社で理不尽な仕事やコメントをもらっても「まぁ、ケリーがあるからね、仕方ないか」

 タクシーの運転手にナメられても「まぁ、家でケリーが待ってるからね、これぐらいは見逃してやろう」

 子供のわがままに振り回されて何もできない休日も、「ケリー愛でることができたから充実したい一日だった」

 どれも側から見たらどれも大したことではない小さな不満。けれどもチリも積もればなんとやらで、少しずつ余裕を蝕むのは確か。ケリーはそんな小さなストレスを解き放ってくれるのである。

 きっと出産をしなければ私はエルメスに入ることのない人生を送っていただろう。エルメスではなくジュエリーや宝石を集めていたのだろう。キラキラの宝石箱を作って、死ぬ時はそれをどこかの保護猫団体に寄付したことだろう。でも、私はエルメスを選んだから、閉幕するまではエルメスと細く長く付き合うのだ。

 エルメスの商品は今日でも手作りである。職人さんが時間をかけてひと針ずつ数十時間かけて丁寧に仕上げたバッグを私は大事に使っていく。きっといろんな傷がつくだろうが、歴史として一緒に歩もうと思う。

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Ryo

夫息子と猫4匹と郊外に暮らす外資系OL。 好きなものはコスメとカメラと猫。 イメコンスペック(プロ診断) ビビ冬スト秋 - 限りなくニュートラル。黄みも青みも振りすぎるのNG ストレート・ハイファッション - 筋トレ育乳中 ほぼクールのエレガント - アクキュ寄せOK

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